断捨離≒終活

 子供たちにとって現金・預金以外の遺品は厄介なゴミだろう。彼等のゴミ始末の手間を減らしてやるという親心などでは、さらさら無いが、不要品の整理を始めた。
主目的は、必ず来ると云われる首都直下型地震に備えてである。安普請だから、少しでも倒壊のリスクを減らすために2階を軽くしようと、物を捨てたり、1階に下ろすことを考えた。そのためには1階のものも減らさなければならない。

幸い、我が町では粗大ゴミの処理場への持込が可能なので、車に入るなら捨てるのは簡単である。大型本棚と洋服ダンスをバラし、衣装ケースや椅子とともに捨てに行った。

 粗大ゴミではないが、古いアルバムは嵩張るしまた重いので、処分することにした。爺婆の思い出が詰まったものではあっても、孫達にはただの古写真だろうが、ひょっとして一度くらいは見てくれるかもしれないと、捨てる前に電子アルバム化した。
スキャナーにかけてjpgファイルにし、説明文と卒業アルバムなどの写真も加えて、html形式のアルバムに仕上げた。ホームページでも見るように祖父母世代の雰囲気が分かるようにした、自信作であるが、はたして見てくれるかどうか・・・
 自分がそうであったように、孫が興味を持ってくれることを期待して、内外の小説類もとっておいたが、捨てることにした。ただ仏教関係のものは残すことに、年を取っても仕事や生活に直接的な関係が無いものに取り組んだという姿勢を伝えたくて、無駄だとは思うが・・・

 地震対策としては、実効のない気休めに過ぎないし、これから先利用することもなさそうな物が未だ沢山残っている。我ながら意外だったのは、捨てた物への執着・未練が全く生じなかったことである。

           尾根の風景            


画像
 この辺りでは、菜種の栽培はしていないから、「菜の花」は、秋野菜の取り残しの花だけである。
数は少なくて、所々に散在しているだけであるが、それがいい、「菜の花」で思い浮かべるのは、そんな風景である。

 これで思い出すのは、文部省唱歌「朧月夜(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)」である。
米英との緊張が高まる中、昭和16年に尋常小学校が国民学校に改組された。
「朧月夜」は6年生の音楽 ()に取り入れられた。自分は4年生で終戦を迎えたから、正規授業で習ったかどうかは記憶にないが、4年生でも皆歌えたと思う。それほどポピュラーであった、多分ラジオでも頻繁に放送されたと思う。

大正3年(1914)の作であるから、歌詞も小学生には難しいだろうが、今の小学生も歌っているのだろうか。

()国民学校6年生用に採用された歌
   敷島の 、おぼろ月夜、姉、、日本海海戦、、 晴れ間、、 四季の雨、われは海の子 、
   満州のひろ野、肇國の歌、 體練の歌、落下傘部隊、御民われ 、 渡り鳥、 船出、
   鎌倉、少年産業戰士、スキー、水師営の会見、早春、日本刀

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