終戦記念日が来る

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 今年も8月15日がやってきた。60年前のこの日は、はっきり覚えているわけではないが、青空が出ていたような気がする。周囲は一面の稲田で青々としていたはずだ。時々風が吹くと、稲の葉先が波のように揺れ、速いスピードでそれが遠くに伝わっていったであろう。
 ラヂオがあって、「トントン、トンカラリと、隣組・・・♪」という歌もよく聴いたから、陛下の詔勅を直接聞いたかもしれない。内容がよく聞き取れなかったという話もよく聞くが、いずれにしても、当日中には戦争が終わったことを知っていたのだろう。いつもの配達を待たずに、新聞屋に取りに行かされたことだけは、はっきり覚えているが、これは多分16日のことであったろう。
 親父は応召していたから、我が家はお袋と弟との3人家族であった。お袋が何を話したかは記憶にない。当然、嬉しかったに違いない。しかし、戦死の公報がなかったというだけで、生きてはいない可能性もあったから、手放しで喜ぶような話はしなかっただろうと思う。今考えてみると、それまでも、まだたいして役にも立たない小学生に、近所の子以上の農作業をさせていたのも、未亡人になった時に備え、早く家を守る自覚を持たせたかったからであろう。だとすれば、気の緩みが起こるかもしれない、楽観的な話はしなかったはずだ。幸いにして、親父は2年後に米軍のレーション(携帯食料)を土産にして復員してきた。

 戦没者の追悼式で、「あなた方の犠牲の上に、今日の平和があります」と言うような言葉が捧げられるけれども、これはこじつけで偽善のような気がして、嫌いである。もちろん、死者や遺族の心情に配慮しての言葉であることはよく分かる。しかし、国と軍の指導者がもう少し別の考え方をしていたら、犠牲者の数を減らせたかも知れない、場合によっては肉親を失わなくてもすんだかもしれないことは、遺族も知っている。死者に言葉があるなら、「何を言っているのだ。お前、本気か」と、怒り出すような気もする。
もう一つ、「過ちは繰り返しません」がある。戦死者への追悼の言葉としては、そぐわない気がする。命を捧げられたことに対しては、感謝を意をこめた言葉にしたいけれども、あの戦争での死のことを思うと、結局この言葉しかないのではないかと思う。

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この記事へのコメント

2005年08月15日 09:36
父親のない子が多かった。カンパンも脱脂粉乳もかすかに覚えています。
自分達は少なかったのに、22年生まれからクラス数が急に増えた事もリアルな出来事として覚えています。
世界に追いつけ!追い越せ!できた時代のほうが、貧しくともまとまりがあって良かったような気がします。追い越した後は、中心軸の無くなった傘のようにバラバラの日本のような気がします。
2005年08月15日 10:10
 私も戦前に生まれているのですが、記憶は十分ではありません。
 私は、家族が戦争の犠牲になっていませんので、ご遺族の方々の心情を想像でしか感じとれませんが、おっしゃるようなお気持ちにもなろうかと思います。

 私は、娘の子育ての様子に、戦時中の母親をダブらせて目が潤むことがあります。
 現在は物資が豊富で、しかも旦那様が毎日そばにいても、娘は、てんてこ舞いで大きな声を発している状態です。
 戦時中は、食べ物もままならぬ状態で、父親がそばに居ないどころか、帰らぬ人となるかも知れぬことを思い、しかも爆撃があるたびに、防空壕の中へ駆け込み、そのたびに子供(私)と共にこれで人生が終わるのかと、何度も思ったそうです。
 今の娘の子育てを見て、母親を思うと想像を越える苦労があったろうと・・・。
 
 昨今の政治家のエゴと排他的な競争心をみるとき、「過ちは繰り返しません」と云う言葉は、彼らの何処を見て信じて良いのか分からなくなります。


 
片靴
2005年08月15日 15:59
山いろいろさん
そうですね、「追いつけ!追い越せ!」の頃は、真面目にやれば報われる、あるいは先はよくなる、期待感のようなものを実感できましたね。又、真面目に努力することが、当たり前の世の中でもありました。だから、疑問を持たずに努力しました。今は、それが必ずしも当たり前ではなくなり、又、努力しなくても生きていける(あるいは、と錯覚できる)ようなった、のかなと想像しています。豊になり過ぎたのですかね。

ロボットさん
やはり戦前の母親は強かった、のでしょうか、私もそのような気がします。夫を奪われて、全責任を自分が負うという心の準備が常にあったのでしょうか。そのような母親を見ているから、子供の方も心配を掛けてはいけないと思っていたのかもしれませんね。
確かに、追悼式の式辞で、政治家などの来賓がどんな言葉を並べても、日頃の言動を見ていれば、空疎に感じられることは多いだろうと思います。無名の死者やその遺族はそこでまた打ちのめされるのでしょう。

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